『なさけない』の発信源とは
『主夫がなさけない』の発信源は『常識』という形の無いものです。
こういう論拠の対論によく北欧とか取り上げることが多くありますが、
あえて取り上げない事にします。
それはベストは分業では無く家事協業だからです。
昔から『男は外で働き、女は家で家事をする』というスタイルがあったわけではありません。
このスタイルの原型は鎌倉時代の武家と言われていますが、戦前までは普通に夫婦共働きであり
地方によっては嫁の方が稼ぎが多いというのも不思議ではありませんでした。
いわゆる『常識的な一般家庭』が出来上がったのは、戦後の核家族化に伴う分業に端を発します。
サラリーマン人口が爆発的に増え、それが中間層を形成することにより、配偶者である妻が家の事に専念できるという経済状態が生まれました。
結果として、夫は外で働き、妻は家事を行い社会的にも生活的にも活発な消費活動が生まれたという経緯になりました。
時代は変わり、必ずしも男の所得だけで生活ができるわけでないという時代になりました。
消費がそのままで給与が減るんですから、結果としてひずみが出てくるのです。
それからいろんなインフラが整ったことで、過去にはなかった新たな出費も発生しました。
大きな点は、通信費の増加です。
ほんとは無理にかけなくてもいいのかもしれませんが、教育費の増加も拍車をかけているでしょう。
そうすると妻の社会再進出も加速されていきます。
必然的に家事に費やす時間が無くなり、ほころびが出てきている家庭も散見ているそうです。
そこで、ハウスキーパーとかベビーシッターなど雇うという例もあるようですが、その前に自分で出来る事はあるのかないのか、考えてみる事が必要だと思います。
『夫も主夫をする』
専業主夫だけではないにしろ、新しい時代の新しい価値観として、新たな常識にする必要はないでしょうか。
『なさけない』に対する対応
では他人の目という常識から対抗するにはどうすればいいでしょうか。
生活の確立
夫が主夫業を受け持ってから、家庭がおかしくなったといわれたら元も子もありません。
仕事でも同じですが、働いている時間と家の仕事を精査して、家事をどういう単位で行えばいいか分析します。
・洗濯は干すのやめて乾燥機付きにする
・食器は食洗器を買う
・使う家具を制限して必要以上に使わない
・掃除も基本ロボット、休みの日に大掛かりにする
・家事作業が少なく済むような生活スタイルにする
考えればいろいろ出てきます。
今までと同じ生活をする必要はないのです。
その時々で生活スタイルは変化させていく事です。
そしてまた余裕ができてきたら前がよかったら少しづつ戻すことができます。
まずは生活の最適化を行い、家事の負荷がかからないようにしましょう。
ストレスのない生活
共働きを始めたからといって節制したり、今まで通りのまま仕事も追加しないといけないという事はありません。
家事の基本は『楽して結果を出す』です。
仕事と違って、やればやるほど家計にプラスになるという事はありません。
ただ、外注すれば家計はマイナスになります。
ですが最適化を行えば、マイナスを縮小できます。
それで同じ結果を得られれば家事は成功です。
ただ、勘違いしていけないのは、それが精神的ストレスとともに肉体的ストレスを考慮することです。
時間を無理して家事をするよりも、家事の結果を削減してまでも仕事という事は避けた方がいいでしょう。
結局それがストレスになって生活は破たんします。
どういう生活が現在の理想の結果か、それを念頭に置いて最小限の作業で最良の結果を得られるように最適化が重要です。
周囲への開示・説明
家事のそぶりも見せなかった夫が突然家事をしだしたとすれば、外野はいらぬ噂を立てる可能性があります。
主夫業はいきなり、しかも外から見える作業から始めると、離婚か?とか夫が無職か?とか言い出しかねません。
そういう噂は結局、生活に支障をきたし、破たんの原因になります。
外圧は侮れません。
そういう対策のためには、ゴミ捨てなど見える範囲の事はいきなりせずに、家の中の事から始めましょう。
もしなにかのきっかけで専業主夫になったとしても、『家事は元々家でやっていた。今は無職になったけど一時的』など説明ができます。
延々と専業主夫だと、相当コミュニケーション能力がないといらぬ噂は立ちます。
ましてや子供がいるとなおさらです。
テレビなどではCMにも使われるほど好意的に扱われている傾向にありますが、現実世界での主夫に対する視線は厳しいです。
『うちでは家事は分担している。その延長でたまたま夫が主夫である』
という説明を確立できるように心がけてください。
大切なのは自分と妻との心構え
『あなたが戻るまで私が頑張る』
と配偶者に言われても、相当な高給取りでもない限り、結局は妻の心は折れます。
良く結婚式のスピーチでも使われますが『結婚は悲しみを半分にし、幸せを倍にします』というセリフがあります。
生活という責任も半分になるとお互いに楽になるのではないでしょうか。
家族とは共同作業です。
役割分担ではなく、お互いがお互いを支えあえるように、することが最低限です。
そういう土台があって、初めて仕事とか将来の夢とか持てるようになります。
『絶えず、将来の夢を持つ事共有すること』
形のないものかもしれませんが、生活という土台を作り、将来の夢があれば、その道中どういう事があろうと、対応できる夫婦生活を送れるものです。
『主夫はなさけなくない』
配偶者と長い時間を過ごしますが、亡くなるときは別々です。
お互いに必要な生活能力は持っておくことは、たとえ相手に先立たれようとそれから続く自分の人生をとん挫させないようにするために必要なことなのです。