意外と多い『美味しい?ノイローゼ』
ツイッターでもフェイスブックでも、食事の反応に関する悩みが多くて、多くは
『自分が”美味しいか”聞いても、相手は”まあまあ”としか返してくれない』
というものだった。
相手からの反応が返ってこないと、自分が料理をつくる動機にもやる気にもつながらず、結局そこを起点に愛が冷めるということもあるそうです。
正直『んな、あほなことあるかいなw』と思いたくもなるでしょうが、新婚夫婦に多く、『最初は旦那は「美味しい美味しい」といってくれたのに、最近は言ってくれない』など悩みとしてつぶやく人が多いです。
ベタなネタではありますが、これは実はうちでもありまして、僕自身は全く気にしてませんが、嫁が自分が作ると毎回『美味しい?』『どこが美味しい?』『どんなふうに美味しい?』などと聞き、黙って食ってたり、普通普通と返していると、しまいには『料理は嫌いになったから、あんた作って』といい、もう何年も嫁が作った物を食った記憶はありません。
他の家庭では『この人には二度と作りたくない』と言う事で離婚だという話もあるそうです。
そこまで悩むことなのかなと思いますが、自分が頑張って作ったものに対して評価されないというのは、一種のノイローゼのような感覚なのだろうと思います。
『美味しい?』と聞かれるのは、思ったよりもストレス
実は、この『美味しい?』と聞かれる方も大変で、それが毎回だと『まるで毎回褒めるための試験を受けさせられているようなもの』という状態になります。
仕事から帰ってきて疲れているのに、毎日食事試験を受けさせられることが続くと、うんざりします。
『仕事終わりぐらい、ゆっくりさせてくれ』
正直、そういう意見でしょう。
食事の感想で愛を測られるのは、思った以上にストレスになるのです。
全国の主夫と主婦は、『相手が美味しいと思うもの』よりも『自分が美味しいと思うもの』を作ろう
斎藤一人さんの説話で『相手に気を揉むよりも、自分に気を使おう』という内容があります。
これを食事の事に置き換えると、『相手が美味しいと思うものを作るよりも、まず自分が美味しいと思うものを作ろう』となります。
日本人は得てして褒めることが苦手ですが、指摘をすることは大好きです。
食事でもそうで、『旦那の細かい指摘が嫌で、離婚する』という話もありますが、旦那としては気がついたことをただ言ってるだけであって、指摘している気はありません。
なので、食事では『自分が美味しいと思うもの』を毎日作りましょう。
その中で、不満や希望があれば、小言でチクチクと指摘します。
それは指摘じゃなくて、その人が希望する改善点なので、少しづつ変えて行きましょう。
その時、『自分が好む』ことを大前提にして、変えていくことによって、いつしか家庭の料理は『二人が好む味』になります。
その時も相手は褒めることはありませんが、それらしいことはいうようになるでしょう。
外食の回数を減らしたり、弁当を希望したり。
このように自分の満足の行くことをずらさずに、少しづつ寄り添うことで、『美味しい?』に対する答えが自然と出てくるようになるのです。